働き過ぎで死に至る「過労死」-。「働きすぎの時代」や「これ以上、働けますか?」(共著)など労働問題に関する多数の著書がある関西大経済学部教授の森岡孝二さんは、「過労死という言葉は1988年、『バブル経済』の絶頂期にあった日本で、労働者の残業(時間外労働)が猛烈に増えた時期に広がり始めた」と言う。同年、「過労死弁護団」による「過労死110番」が初めて実施され、新聞やテレビなどのメディアが取り上げたことで、「過労死」が時事用語になった。「過労死」は日本発の言葉であり、今や「KAROSHI」として世界共通の言葉にさえなっている。
その過労死が社会問題化して今年で20年になる。しかし、過労死は減るどころか、逆に増えている。これは、なぜなのか。どうすれば、過労死を防げるのか。当直をはじめとする過重な労働で過労自殺した小児科医中原利郎さん、夜勤などの変則勤務で過労死した看護師村上優子さんの裁判などを基に、医療労働の在り方を探った。5回に分けてお届けする。(山田利和・尾崎文壽)
勤務医は平均でも“過労死水準”
「病院など医療機関に勤務する常勤医の一週間当たりの勤務時間は、平均で63.3時間。一週間に40時間を超える労働時間を時間外労働とする厚生労働省の『過労死認定基準』に基づくと、常勤医は一か月当たり約100時間の時間外労働をしていることになる。勤務医は平均で『過労死認定基準』を超えて働いている」
勤務医の労働実態に関し、「過労死弁護団全国連絡会議」の代表幹事、松丸正さんが強調する。
過労死について、厚労省は2001年、「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準」を示し、「発症前1か月間におおむね100時間、または発症前2か月間ないし6か月間にわたって一か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と(疾患)発症との関連性が強く、過労死と判断される」との「過労死認定基準」を示している。
松丸さんは、「63.3時間という常勤医の一週間当たりの勤務時間は、厚労省が06年に発表した『医師需給に係る医師の勤務状況調査』の結果だが、これは常勤医が通常勤務している医療機関での労働時間にすぎない。常勤医には、当直のアルバイトなどをしている若い医師も多く、実際にはもっと長時間労働をしており、厚労省が勤務医の労働時間を適正に把握しているとは言えない」と指摘する。その上で、「問題なのは、過労死認定基準を超える労働が、勤務医では常態化していることだ。もはや、勤務医の過労死は特別なことではなく、“当たり前”になっている長時間労働から起きている」と問題視している。
2人の医療従事者の過労死
中原さん(当時44歳)は1999年8月16日、勤務先の立正佼成会附属佼成病院(東京都中野区)の屋上から身を投げた。同年1月から4月にかけて、小児科医6人のうち3人が退職した。医師不足などのため、中原さんは同年3月には8回、4月には6回の当直を余儀なくされた。中原さんの当直回数は月平均5.7回で、一般の小児科医の平均の1.7倍にも上った。
昨年3月14日の行政訴訟の判決は、「うつ病発症と過重な業務との因果関係」を認め、労災認定した。一方、今年10月22日の民事訴訟の控訴審判決では、病院の「安全配慮義務違反」を認めず、遺族ら原告の損害賠償請求を棄却した。しかし、一審が否定した「うつ病と過重な業務との因果関係」については明確に認めた。
妻のり子さんら原告は11月4日、「労働者の心身の安全や健康に何らかの影響を及ぼすような業務の過重性があったということについて、使用者側が知っていれば、過失に当たる」と、使用者責任(安全配慮義務違反)を認めた「電通事件」の最高裁判決(2000年3月24日)に対し、控訴審判決が「違反している」などとして、最高裁に「上告受理」の申し立てを行った。
また、国立循環器病センター(大阪府吹田市)に勤めていた村上さん(当時25歳)は01年2月13日、くも膜下出血で倒れて同センターに入院し、3月10日に亡くなった。村上さんは、日勤を終えた後、深夜勤に入るまでの間隔が、短い場合には3時間半ほどしかなかった。一日の仕事を終えた後、十分に休めないまま、次の勤務に入ることが多いなど、不規則な勤務によって「睡眠障害」の状態にあり、くも膜下出血で倒れた。
国の使用者責任を求めた民事訴訟は昨年10月23日、最高裁が「上告不受理」と決定し、国の「安全配慮義務違反」を認めなかった。しかし、行政訴訟では、大阪地裁が公務災害(労災)と認定。国が控訴した今年10月30日の大阪高裁判決は、「村上さんの業務は、量的な過重性に併せ、質的な面から見ても過重で、くも膜下出血の発症には公務起因性が認められる」と、あらためて認定した。
深刻化する過重労働
総務省統計局の「労働力調査」(05年の平均)によると、週60時間を超えて働き、月80時間以上の残業をしている労働者が約619万人に上る。森岡さんは「これは“過労死予備軍”の数を意味している」と危惧(きぐ)する。
厚労省の調査を基に、森岡さんがまとめた「過労死・過労自殺などの労災認定状況」によると、脳・心臓疾患による死亡は1999年の48人から2005年には157人(3.3倍)、労災請求件数は493件から869件(1.8倍)、労災認定件数は81件から330件(4.1倍)。また、精神障害などによる自殺が11人から42人(3.8倍)、労災請求件数が155件から656件(4.2倍)、労災認定件数が14件から127件(9.1倍)で、いずれも急増している=表参照=。
「過労死・過労自殺が深刻になっているが、氷山の一角にすぎない。今年で『過労死110番』が始まって20年になるものの、過労死・過労自殺は減るどころか、多発している。雇用や労働の『規制緩和』などで長時間労働を余儀なくされ、男女を問わず、メンタルヘルスの不調など心身の変調を来す労働者が増えているからだ」(森岡さん)
こうした状況に対し、森岡さんは、「労働者の働き過ぎの傾向が強まっているが、中でも医師や看護師などの医療現場の労働条件が、他の業種と比べて著しく悪い」という。
実際、「過労死110番」には近年、医師や看護師などの命と健康に関する相談が増えている。同連絡会議が昨年11月に集約した「医師の過労死・過労自殺」によると、これまでに22件の過労死・過労自殺が労災認定されているが、このうち昨年に認定されたのは6件で、顕著な増加傾向を示している。
また、同連絡会議が同月17日に実施した「医師・看護師・教師の過労死・過労自殺110番」には、全国20都道府県から68件の相談が寄せられている。
医師では、公立病院の産婦人科医が、「過労が原因で、うつ病を発症して通院している。当直は月に10回に上る」、民間病院の麻酔科医が、「当直は月に9回。午後5時から翌朝7時までの当直の後、しばしば通常業務を行っている。当直手当は少ない」などと訴えた。また、看護師でも、「夜勤が月に9-10回に上ることがある。疲れが取れず、睡眠不足。うつ病で通院している」「日勤の後に深夜勤に入るスケジュールの繰り返し」などの深刻な実態がある。
なぜ、これほどまでに医療現場の労働が過酷なのか-。医師や看護師が置かれている労働環境を調べてみた。
更新:2008/11/04 17:45 キャリアブレイン